メッセージ(大谷孝志師)
主が変えて下さった
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2024年3月24日
Tコリント1:4-9「主が変えて下さった」 牧師 大谷 孝志

 雨の日があれば、曇りの日もある。カラッと晴れる日もある。仕事の為に雨が必要な人もいるが、私は雨だとなんだか気持ちが沈む。晴れると爽快な気分に。人の心は天候に左右され易い。天候だけでなく、笑顔の人といると自分も明るくなるが、暗い、陰険な人といると、自分の心も暗く湿ってきてしまうことがある。

 コリントの教会は大きな港を背景にした大都会の教会。その町はかなり乱れた風潮が蔓延していた。この手紙を読むと、教会の中にもこの世の乱れが浸透していたことが推察される。主を信じていても、この世の中でも生きているので、世の基準が教会の交わりの中に入り込むことが。弱いからではない。美しいものを見て育つ子は、美しい心の持ち主になると言われる。人の心は元々白紙。そこに様々なものが書かれていく。どんなものか。美しいものが醜いものかが問題になる。

 コリントの町は醜いもの、汚れたもので満ち、教会の中にも様々な分裂や不品行があり、偶像礼拝する人々もいた。その問題に直面する人々に、パウロが信仰者としての正しい道を示す為にこの手紙を書いた。人の心は外から影響に左右され易い。自分の言葉や行いで、相手に良い影響を与えることもできると知るから。私達が世の人に福音を宣べ伝えることが必要な理由の一つがここにあると言える。 今日の個所には菅らしい言葉が並んでいる。ここだけ読んだら、私の最初の言葉が違うのではないかと思うかもしれない。実はここに大きな秘密がある。この教会もこの町の風潮に大きな影響を受けていた。 特定の人の言い分を絶対視したり、自分が正しいと思う事をしていれば良いとか、生活の面では世の人々と変わらない生活で良いと主張する人もいた。しかし、それと同じくらい、主イエスと同じ様な生き方をしようとしている人もいた。それはどんな教会でも、主イエスの愛と恵みがその教会の中には満ちているから。教会とはそういうところだから。

 彼は「あなたがたはすべての点で、あらゆることばとあらゆる知識において、キリストにあって豊かな者とされました」と言う。これを読みコリントの教会の人々は大分くすぐったくなったと思う。でもこれは私達にも語り掛けられている。私達も、この世の現実と神の現実という二つの現実の中に生かされているから。

 礼拝に子供達がいない、若い人が少ない。地域に人が中々来ない。あの人、この人の信仰が、生き方、考え方がと、様々な問題を感じることが。これが喜びや満たされたものを感じられず、何か違うと感じる原因になる。彼がこの手紙を書いたのも、この教会に起きている様々な問題が、教会が成長し、福音が宣べ伝えられる為には無視できないことだから。私達の教会もこの世に建てられ、私達がこのように生きている以上、これらの問題に直面することは避けられない。だから、こそ同時に、私達は神の現実の中に生かされてることを忘れてはいけないと思う。「十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私達には神の力」であり、神はこの世の弱い者、無に等しい者を選ばれたと彼は言う。主は。この世で私達が主の証人として生きることが必要だから、十字架に掛かって死んで下さり、神の恵の器とした。私達は主イエスを信じて救われ、新しい人に変えられている。その信仰に立ち、 私達は世の現実の中に生きているが、同時に神の現実の中に生きている者であることを意識して生きよう。そうするなら、私達の人生が、私達の教会が更に豊かなものになっていく。主に自分が変えられていることを心に刻み直して、この世に生き、教会の交わりの中に生きる者になろう。