メッセージ(大谷孝志師)
世の光として輝こう
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2024年3月31日
ヨハネ1:6-8「世の光として輝こう」 牧師 大谷 孝志

 動物は様々な成功や失敗を通して学習し、何をすべきか、何をしたら良いかの行動パターンを獲得する。水に落ちて溺れそうになり、火に近付いて火傷しそうになれば、水や火が危険と知る。大きいか強い動物に襲われたり、小さいか弱い動物に勝ち、食べることができると、敵か無視できるか餌か判断出来るようになる。

 また、生まれたばかりの動物が自然の中でただ一匹で置かれたら、生存確率は非常に小さくなる。鮭は数匹しか生まれた川に戻れない言う。猛獣も、自分で狩りができるようになる迄、親の保護を受け、餌の採り方を学習しながら成長する。

 動物には個を保存し、種を保存する本能があるから。帰巣本能のように生まれながら持つ能力もあるが、聞く、見る、体験する学習を通して行動形式を確立することが、動物が個として、主として生存し続ける為には欠かせないことになる。人も同様に学習しながら成長する。しかし人の場合は、特別に霊的要素がある。

 創世記を読むと、人はあらゆる被造物から区別されている。人は最後に造られ、他の全ての被造物を治よと命じられている。特に本質的に違うのは、人だけが神と対話でき、礼拝できる。神が人を自分の対話の相手として創造したから。昔、猿の惑星という映画があった。猿が神を礼拝していた。人が世界を破壊した結果、霊的能力を奪われ、代わりに猿にその力が与えられたから。これはキリスト教国、聖書的背景、人が霊的能力を持つのは神が与えたと知らなければ作れない映画。

 神は人に与えた霊的能力を正しく維持する為に、イスラエルの民をご自分を礼拝する民として選んだ。その維持の為、神は預言者を通して様々な知識を与え、様々な出来事を通して、神に喜ばれる事と喜ばれない事の区別を学習させた。しかし人はその能力、知識を自分の為に使ってしまい、神に怒られる方が多かった。そこで神は、ご自身が人となって世に来た。全ての人を照らす真の光として、人々に真実を知らせたのが主イエス。その準備の為に遣わされたのがヨハネ。

 どんなに素晴らしい真理が有っても、人はそれを知らなければ分からない。だから神はヨハネ、バプテスマのヨハネを真理を証しさせる為に、先に遣わした。

 ルカの福音書には彼の誕生物語がある。彼の活動の様子は、他の全ての福音書に書かれていて、彼が素晴らしい人であったことが明らかにされている。だから、彼がキリストではないかと考える人もいた程。「彼は光ではなかった」とわざわざ書かれているのは、彼の内に真の光の輝きを感じ取る人が多かったからと思われる。

 真の光について人に知らせるには、自分の内に真の光を持つことが必要。例えば、体育の教師が何かを教えようと思い、こういう事ができるようになって欲しいと思えば、それがどんな事かを身を以て示さなくてはならない。「子供は親の背中を見て育つ」と言われるように、子供が見て育つ為には、親が見せなければならない。

 ヨハネはその生涯を通して、神に喜ばれるにはどうしたら良いかを見せ続け、真の光について証し続けた人。彼が証しできたのは、主イエスと出会って、確信を得、その真の光を自分の内にも持てたから。主イエスは今も真の光として世に輝いている。しかしその事を知らず、、自分にはどうにもならない現実の中で喘いでいる世の人々が大勢いる。私達は十字架と復活の主イエスに出会い、この方が救い主と信じ、心に真の光を持って世に生きている。それは「彼らの間で世の光として輝くため(ピリピ2:16)」とパウロは言う。主の光に照らされている私達。世の光として輝こう。主イエスという真の光が自分を照らしていると人々が気付く為に。