メッセージ(大谷孝志師)
目標を目指して走ろう
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2024年4月7日
ピリピ3:12-16「目標を目指して走ろう」 牧師 大谷 孝志

 新年度に入っている。元旦だけでなく、この一年どのように過ごすかと、誰もが改めて考えさせられる時。今日の個所を読んで、パウロは力強い人間だと改めて感じさせられた。人は誰でも自分が完全と言える人はいないと思う。皆不完全。しかし、不完全な人と言っても二種類がある。不完全だから自分にはできないと諦める人。不完全だから、完全を目指して頑張ろうとする人。私達はどちらか。

 パウロは自分が不完全な人間であることを知っていた。善いことをしようと思っても出来ないし、悪いことはすまいと思ってもしてしまう自分をよく知るから。また、自分が善いことをしたと思っても、或いは、これが善いことだと人に勧めても、自分の行為や思いが相手に正しく評価されないことも知っていた。私達も時として、このような経験をする時があるのでは。いつも善い事が出来て、いつも相手にとって今、何が必要なのかを正しく理解できていればそんなことはない。人は不完全で、完全には出来ない。でも、それが人間だからと諦める必要はない。

 何故なら、この手紙を書いたパウロら初代教会の人々が、諦めて引き下がっていたら、今のキリスト教はなかったと言える。この手紙を読めば分かるが、彼は非常に積極的。しかし自分に自信があるからでも、思う通りに出来たからでも、がむしゃらにやって何とか出来たからでもない。自分が不完全なことを百も承知。この積極性はどこから来たのか。自分が走るべき目標をしっかり知っていたから。

 仕事にしても勉強にしても、家庭生活においても目標のある人と無い人では、生き方が大きく変わってくる。目標がある人は張りがあり、生き生きとしている。不完全であっても、そこで積極的に前進できるか、消極的になり、現状維持に留まるか、或いは後退してしまうかは、目標の有無に掛かってくるのではないか。目標は高い方が、大きい方が良いと言う人がいる。しかし「過ぎたるは及ばざるが如し」で、礼拝出席五十人、CS生徒三十人という目標を今掲げても、残念ながら「絵に描いた餅」に終わると私は思う。だから何を目標にするかが大事になる。

 パウロの目標は、相手が救われることではなく、自分自身の救い。天の御国で主と共に永遠に生きること。この目標をしっかり持っていたから。それを目指して疲れることなく走り続けられた。では何故、それが目標に出来たのか。そんな目標があると知ることができたのか。彼が言うように、キリスト・イエスが彼を捕らえて下さったから。あのダマスコに向かう途中で現れたキリスト・イエスに。

 彼は今、世に生きている。そして神の国、神が支配する世界に生きている。だから、天の御国という目標を目指して走る。私達も主イエスを信じて救われている。1:2で彼が言うように、父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安を頂いている。しかし、その主に相応しい自分だろうか。パウロは気が付いている。だから「前のものに向かって身を伸ばし、…目標を目指して走っている」。私達も自分が不完全な人間と知り、完全を目指そう。彼は「目標を目指して走っている」と言う。彼は走り続けている。歩くとは違い努力が必要。何故努力できたのか。自分が不完全と知り、完全になりたいと願っているから。目標がはっきりしているから。走り続ければ目標に達することができ、自分の努力が無駄にならないと知るから。主が不完全な自分をそのまま受け入れ、共に主が歩んでいると知るから。私達も彼のように、主キリストのように生きたいとの目標を目指して走ろう。そうするなら、この世で生き生きと生き、主こそ救い主と世の人に知らせられる。