メッセージ(大谷孝志師)
主の恵み溢れる教会に
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2024年4月14日
Tテモテ1:12-17「主の恵み溢れる教会に」 牧師 大谷 孝志

 新しい年度を迎えた。「一年の計は元旦にあり」と言うが、新年度を迎えた私達もこの一年をどう歩むかと、様々な思いがあるのでは。私達が立つべき所は、この教会は主が立てられた教会であり、主が責任を持って下さり、一人一人を愛し、導き支えて下さるとの信仰。今年の主題聖句とテーマを与えられているが、一人一人がこの教会が「主の恵み溢れる教会」と成ることを目指すことが大切と思う。

 この手紙は、パウロが自分の子のように愛したテモテという一人の同労者に宛てた手紙。これを読むと、テモテが牧会していた教会にも、様々な問題が生じていたことが分かる。パウロは、その中で苦闘している彼に、牧者としての正しい生き方を教えると共に、監督や奉仕者や長老、老人、若者、男性、女性と、様々な異なった立場にいる人々に、キリスト者としての正しい生き方を教えている。

 パウロがこのような手紙を書けるのは、自分が主イエスによって強くされ、この務めにつかせて戴いたからと感謝している。私はここに、彼の教えを実行し「主の恵み溢れる教会」を目指す為のとても重要なヒントが示されていると気付いた。彼は「私は罪人の頭です」と正直に告白している。自分が罪人と自覚することがこの目標を目指す上で第一に大切な点。自分が主の憐れみと恵みが必要な人間と自覚しないと、この目標が自分のものにはならない。他の人がこの教会を主の恵み溢れる教会にしてくれるのをただ待つだけでは実現しない。他の人が悪いからと言っても実現しないことでは同じ。自分が主の恵みがなければ生きられない罪人だと自覚する人に、主の恵みが溢れる程に与えられ、そのような人々の集まりが「主の恵み溢れる教会」になっていく。彼は、自分が憐れみを受けたのは、主イエスがこの上ない寛容を先ず私に示し、私を、ご自分を信じて永遠の命を得ることになる人々の先例にするためと彼は言う。自分が未信者の家族、友人知人の先例、言い換えるなら手本となる為に救われたと自覚することが次に大切な点。「主の恵み溢れる教会」は温かい日差しの中でのんびりと昼寝が出来る教会では無い。この世に立てられている教会にそんな余裕は無い。教会が教会である為には「信仰と健全な良心を保ち、立派に戦い抜く覚悟が必要」。大変だと思う必要はない。「キリストは私を忠実な者と認めて、この務めに任命」したと彼は言う。彼は傲慢なのではない。主が罪人の頭である自分を、この務めに相応しい者と見なして用い、その務めを果たす自分に、主の恵みを満ち溢れさせてくれたからと言う。

 私に限らず、牧師として立てられている者が何故説教でき、伝道と牧会が出来るかと言えば、主が助け導き、必要な知恵と力を与えているから。牧師には限らない。自分のような者でも誰かの手本になり、役に立っていると感じられる時程嬉しいことはないと思う。主は私達を憐れみ、恵みを与え、その嬉しい務めを果たせるようにしてくれている。そのような主の働き人、主の恵みに溢れる人の集まりとなるなら、この教会も「主の恵み溢れる教会」となる。それに「立派に戦い抜く」と言っても、相手の人を打ち負かすのが目的では無い。「すべての人の為に願い、祈り、執り成し、感謝を献げる」姿勢を自分が保ち、「いつも敬虔で品位を保ち、平安で落ち着いた生活」を送ろう。相手の為に祈り、相手が私達を見て。良いと感じる生活を追い求め、主の恵み溢れる人の群れ、教会となることが、私達の戦いと言える。「そのような祈りは、私達の救い主である神のみ前において良いことであり、喜ばれること。皆で心を合わせ「主の恵み溢れる教会」を目指そう。