メッセージ(大谷孝志師)
真の光が輝き照らす人生
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2024年4月21日
ヨハネ1:9-13「真の光が輝き照らす人生」 牧師 大谷 孝志

 主イエスは「すべての人を照らす真の光」として世に来た。太陽の無い生活を考えるとぞっとする。電灯は明るく夜間の生活を快適にする。蝋燭や油で明かりを取っていた頃は大変だった。しかし、日の出と共に働き日没と共に休む生活は体に良いと言われる。生物には体内時計というものがあり、人は、昼間活動し夜寝るようにホルモンが分泌されるから。夜起きてひる寝る人は、心と体に無理が生じ、ストレスが溜まりやすいと言われる。とは言え「24時間働けますか」というCMソングもあったように、町は昼も夜も活動し、車が走っていない時間もなく、夜の盛り場は人口の光を求めて人々が蠢いている。その人々は、実は光ではなく、男や女や金を、刺激を求めて蠢いている。堂々と人の為社会の為に働いて得る喜びでなく、結局は相手を利用し、欺してでも利益を得た喜び、自分さえ良ければ良いとの喜びを求める。その人々には昼の光は眩し過ぎるのかもしれない。

 ヨハネは「すべての人を照らす真の光」と言う。これは主イエス・キリスト。世の人々が偽りの光の中で偽りの喜びを求め、相手が如何に傷付こうともそれ得て喜んでいるから。そこには真の喜びも平安も無いから。しかし、主イエス・キリストという真の光が世に来たのに、世はこれを知らなかった。主がご自分の所に来たのに、ご自分の民は主を受け入れなかった。主は世に来て多くの人々に会い、求めて来る人々に、神に喜ばれる者になるにはどうしたら良いかを教えた。

 人々はイエスに接し、善い方だ、素晴らしい方だ、凄い方だとは思っただろう。何故、主の民であるのに、彼らは主を受け入れられなかったのか。主イエスがその人の生き方を変えてしまう強烈な力を持っていたから。自分達の思いを知り、願いを実現してくれる人と見ている内は善かった。しかしないか違うと感じ出し、自分が思う以上に変わらなければと感じた時、人々は主イエスに恐れを感じ、離れた。遺書にいられなかった。受け入れられなかった。しかし、「私に付いて来なさい」と言われただけで何もかも捨てて従った人々もいた。生き方が大きく変わることを受け入れて、主イエスと一緒に生きること受け入れられた人々もいた。

 主イエス・キリストは、この世という闇の中に輝く光、全ての人を照らす真の光。世の人の人生を闇から光に変える力ある方。何故なら、ご自分を受け入れた人、その名を信じた人に、神の子どもとなる特権を与える方。「神の子ども」は神に相応しい者、神が父として恵みを注ぐ対象、神が子として扱われることを表す。

 教会の存在を知り、教会に来て、主イエスと出会い、主を信じると、第二の誕生を経験する。ヨハネは「血によってではなく、肉の望むところでも人の意思によってでもなく、ただ神によって生まれた」と言う。第一の誕生の時を覚えている人はまずいない。しかし第二の誕生は、キリスト者なら誰でも明確に自覚する出来事。バプテストは特に浸礼だから、水に入り、水から出ることで、古い自分が死に、新しい自分に生きることを体験する。この特権により、私達は神の子として、主が照らす真の光の中で、神の子どもとして、より神に相応しい者を目指して成長していく。主は、その子の親が注ぐ以上の愛と親には不可能な権威をもって完成を目指して成長させる。私達をそのような人として生かす為に、真の光として私達を輝き照らし、豊かな主の愛で包み込んでいる。その為に世に来て、この世に生き、十字架に掛かって死に、復活して、今も全ての人を照らす真の光として輝いている。その真の光に照らされて生きる私達でいることを感謝しよう。