メッセージ(大谷孝志師)
前向きに人生を歩もう
向島キリスト教会 夕礼拝説教 2024年4月28日
ローマ15:14-21「前向きに人生を歩もう」 牧師 大谷 孝志

 人間は本来的に、善か悪かの考え方が人によって違う。同じ悪を行った人を見ても、人間だからしょうがないと考える人もいれば、人間らしからぬ事をしたと考える人もいる。また、何が善で何が悪かも、人や時代により。社会によっても違う。

 しかしキリスト者は、世の人々とは違う基準を持つ。それは主に喜ばれるかどうかという基準。しかし実際問題として、聖書が示す善であることの全ては守れない。それだけでなく、何が主に喜ばれるかは、主が一々示さないので、後で判断するしかない。真剣に信仰的に生きようと思うと、訳が分からなくなることもある。

 また私達は、自分が知恵に満ちているとは考えない。善悪の基準も分からず、相手の心の中も分からないから、相手を訓戒できるとは考えたこともない人が殆どだと思う。しかしパウロは「あなたがた自身、善意にあふれ、あらゆる知識に満たされ、互いに訓戒し合うことができると、この私も確信して」いると言う。実は、これがキリスト者の本質だが、ローマのキリスト者達もこの手紙を読んで、自分達がそうだとは信じられなかったと思うし、私達もそう思う。しかしこれが真実。

 聖書は私達に、後ろ向きにではなく、前向きの人生を歩めると教える。主イエスが共にいて守り導くので、キリスト者は希望を持ち、平安の中を前進できる。私達は本当に驚くべき恵みを戴いている。信仰を与えられているからこそと感謝。しかし希望が「もしできれば」という単なる期待に終わってしまうことはないか。主は「できるなら、と言うのですか。信じる者には、どんなことでもできるのです」と言う。私達はその主が万物を支配している世界に今生きている。しかしそれを信じ切れず、現実のみに心を奪われて、この現実が御心なのだと諦めてしまったことはないか。聖書に主イエスによる素晴らしい出来事が数多く記されている。奇跡もそうだが、主の教えには、読む度に新鮮な喜びを私は与えられている。主は言う「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます」と。私達は主イエスを信じて生きているので、善意に溢れ、あらゆる知識に満たされ、互いに訓戒し合える。でも主を信じていながら、自分がそういう者とされていると信じられないとしたら、上辺だけ、形式だけの信仰者になっている自分に気付こう。

 18節で「ただ、あなたがたにもう一度思い起こしてもらうために、私は所々かなり大胆に書きました」と言うように、パウロは人々に懸命に福音を伝えてきた。何故できたのか、「キリストがことばと行いにより、また、不思議を行う力と、神の御霊の力によって、それを成し遂げて」下さったから。彼は大胆に書いたと言うが、彼にしても、福音を伝え、人々が救われる為には、困難を恐れず、立ち向かう努力は必要だった。それができたのは、彼自身が福音の世界に生きているから、自分達は気付かなくても、世の人々も福音の世界に生きているから。御霊は全ての人に働くから、信じていない人が信じられるという不思議な事が、奇跡が起きる。

 彼自身が「後ろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし(ピリピ3:13)」と言うように前向きに生きている。何故できたのか。主イエス・キリストという模範があるから。人がその人なりに正しく生きられる道を、主が公生涯を通して歩んだから。そして私達に出来るようにと、十字架に掛かって死に、私達の罪を取り除き、祝福の器としたから。前向きに生きる者となれるよう弱い私達が助けを求めるのを、御霊は待っている。御霊に助けられ、一人でも多くの人が救われるよう私達も前進しよう。