2002118()
 

向島紡績レンガ塀はイギリス製といわれる謎

@山白社長さん:油紙の包んで運ばれてきたとの伝承

A呉図書館長さん:呉にもそのような言い伝えがあるが、明治時代、日本製レンガが製造されていたことからそういうことは考えられないと思う。

Bしかし、江田島旧海軍兵学校パンフレットに「明治261893)年イギリスの建築家により、イギリスからレンガを軍艦で運んできて建てた兵学校(現在海上自衛隊生徒館・寄宿舎)」とある。

旧海軍兵学校は1888(明治21)年、東京築地から移転、第二次大戦まで海軍士官を養成してきた学校。

イギリスのダートマス、アメリカのアナポリスと共に世界三大兵学校としてその名を馳せた。

イギリス人の教師陣「軍人である前に紳士たれ」と勧めたと言う。

@ とBがどのように連結しているか分かれば、信憑性が確立される。

向島のレンガ塀は大正7,8(1918,1919)に建てられたいうから、兵学校から25,6年後ということになる。

時期的にはずれがあるが、仮に残存したレンガを後に、向島に輸送したとすれば納得できる。

それでは、向島、あるいは建設当時、松本帆布(18 78操業〜1895・明治28年設立)と海軍との関係はどうであったか。

文化財保護委員長、吉原氏によれば当時の西村(現向島町)は「海軍村」と新聞で呼称されたほど、縁が深かったという。

1次大戦時にはまだ帆かけ船の艦船があったことからも、何らかの関係が考えられる。

吉原氏の記憶では、1924(大正13)年前後、清浦奎吾総理大臣が向島を訪問されたとき、わざわざ、松本帆布に立ち寄られたとのこと。

それ以前のことで言えば、向島出身の安保清康海軍中将は坂本竜馬の後輩で、共にオランダ語を学び、竜馬が

「新政府の日本海軍創設はおまえに任せる」と手紙を書き送っていたと言う。(高知県保存、コピーは吉原氏所持)

更に、東郷元帥と共にバルチック艦隊を破った安保清種[きよかず]氏、兵学校教授,砂田正ニ大佐、小川恂吉軍医があげられる。

以上から推測される事は、向島のレンガ塀は、軍との関係があったから立てられた可能性があること、

レンガがイギリス製だとすれば、輸送が軍艦であったからこそ、輸入できたと思われること。

そして、海軍との特別な関係があったからこそ、捕虜収容所もそこに選ばれたと考えられる。

(向島紡績は、中国から引き上げられた山白氏が松本氏から購入して、今日に至っているとのこと。

収容所のガラスは、山白氏の弟、山白令一元牧師[現在広島キリスト教会養護老人ホーム:輝き在住]

が広島市の船越教会を焼け野原に建設されたとき使用された。)

成分分析結果
試験体 マーク SiO2 Al2O3 Fe2O3 K2O Na2O CaO MgO TiO2 MnO P2O5
A M 国産 58.8 19.9 8.18 4.16 3.51 2.42 1.43 0.724 0.150 0.124
B 国産? 58.1 20.6 7.57 4.11 4.06 2.29 1.69 0.708 0.197 0.115
C SRK 国産 59.3 19.6 9.97 2.89 2.05 2.79 1.78 0.925 0.193 0.0763
D 国産? 58.1 20.5 9.77 3.22 3.64 0.442 0.717 0.841 0.199 0.0403
E 英国産? 2回目 小 47.3 13.2 15.8 4.74 1.90 1.95 0.97 1.27 0.211 1.28
F 英国産? 2回目 大 50.3 15.6 15.0 5.74 2.31 2.80 0.938 1.33 0.32 1.38
寸法測定結果
高さ 長さ
試験体 マーク mm インチ mm インチ mm インチ 1インチ= 25.4mmで換算
104.1 4.1 57.8 2.3 215.6 8.5
A M 国産 104.5 4.1 57.3 2.3 215.0 8.5
103.2 4.1 57.4 2.3
112.6 4.4 64.2 2.5 236.3 9.3
B 110.9 4.4 64.8 2.6 235.6 9.3
112.2 4.4 65.7 2.6
103.4 4.1 59.2 2.3 208.8 8.2
C SRK 国産 102.3 4.0 59.6 2.3 208.4 8.2
99.9 3.9 59.2 2.3
109.5 4.3 60.9 2.4 228.0 9.0
D 110.6 4.4 60.4 2.4 227.6 9.0
102.6 4.0 60.5 2.4 228.5 9.0
国内規格 110±3.0 60±2.5 210±5.0