Martin L.Zapf氏
1945年8月8日、八幡工業地帯を爆撃目標にしたB29Nip Clipper(j乗員11人)が北九州沖、沖ノ島(下関より西北西約80キロKm)上空で撃墜され、日本海に墜落した。乗組員11人のうち
機長を除く10人はパラシュートで海上に脱出した。救命ボートで7日間
経過した後、8月14日益田沖で日本の漁船に救出された。
ほとんど目隠しの状態で益田より列車で岩国を経由、8月16日に原爆で壊滅した広島に到着。
他方、呉沖で戦艦榛名を攻撃中、撃墜されたB24機ロンサムレディ
の乗組員6名は広島市の中国憲兵隊司令部に留置されて8月6日被爆していた。(1999・10・8朝日新聞参照)
ザップ氏はその同胞の悲惨な死を看取った。
ザップ氏はじめ生き残った10人は8月20日新市町戸手の事務所を経由して向島収容所に到着、9月12日までの24日間滞在することとなった