キリスト教Q&A

興味はあるんだけれど、、、宗教って言うとちょっと抵抗が、、、と言う方のために。



キリスト教の創始者は誰ですか。

 約2000年前にユダヤに生まれたイエス・キリストです。

キリスト教の聖典は何ですか。

 聖書(旧約39巻、新約27巻)です。

聖書はイエス・キリストが書いたのですか。

 イエス・キリストが書いた文書は残っていません。
 旧約聖書は、天地創造からイエス・キリストが生まれる前までの歴史や詩や教えや文学が信仰の視点から多くの著者によって書かれたものを編集したものです。
 新約聖書は、イエス・キリストの降誕から初代教会の様子や手紙が弟子たちによって書かれて編集されたものです。イエス・キリストによってもたらされた神様からの新しい約束という意味で「新約」と呼ばれています。
 聖書には、「聖書は、すべて聖霊の導きによって書かれた」と書いてあります。本当の著者は、聖霊と言えます。

聖書にはどのようなことが書かれていますか。

 聖書には神様の救いがキリストによって実現したことが書かれています。聖書は神の言葉であり、わたしたちの生活の指針です。

教会とはどういう所ですか。

 教会は、キリストによって救われて生きる者の共同体であって、神様を礼拝し、キリストの教えを宣べ伝える所です。

教会ではどんなことをしますか。

 日曜日の礼拝や祈祷会などの集会、その他の伝道活動等を行います。

日曜日の礼拝はどんなことをしますか。

 礼拝は、讃美歌、祈り、説教等をプログラムに従って行います。

礼拝に誰が参加できますか。

 礼拝には子供から大人まで誰でも参加できます。信徒(教会員)だけでなく一般の人でも自由に参加できます。

教会でお話を聞くために、お金が必要ですか。

 一切必要ではありません。
 ただし、礼拝の中で席上献金が募られます。それは会費ではありませんし、願い事を叶えてもらうための御賽銭でもなく、感謝の献金ですので、意味が分からない場合や意志がない場合は献金する必要はありませんし、誰からも強制されません。また、金額は全く自由です。

牧師に相談したりお祈りしてもらうのに費用がかかりますか。

 一切必要ではありません。本当です。

信徒(教会員)になると入会金や会費が必要ですか。

 入会金は一切必要ではありません。会費もありません。
 教会員になると月約献金をすることが勧められますが、金額は自由です。聖書に収穫の10分の1は神のものとの記述があるので、それを目安にしている場合もありますが強制されることはありません。聖書には「強いられてでもなく、惜しむ心でからでもなく、感謝の心で献金すること」が勧められています。
 また、信仰は基本的に個人のものであるので、未信者である家族の分の会費などを要求されることも一切ありません。

献金はどのようなことに使われるのですか。

 献金は教会の活動のために用いられます。その中には組織の維持、会堂の維持、牧師への謝礼(給料)も含まれます。教会の会計はほぼ献金のみによって支えられています。教会員には会計報告がなされますので、どのようなことに使われているかは、オープンです。

牧師の給料はどのようにして決められているのですか。

 バプテストの教派の場合、教会員全員が参加して行う教会総会で決められるのが普通です。
 

教会に行くと無理矢理入信を勧められるのではないですか。

 信徒(教会員)になるためには、本人が「イエス・キリストは私の救い主である」という信仰を持つことが必要です。その信仰を申し出て教会が認めた場合、バプテスマ(洗礼:キリストを信じたことを表す儀式)が行われ、教会員となります。したがって、入信は本人の信仰が大前提であって、本人の意思によらないで無理矢理入信を勧められることは全くありません。

キリスト教ではたくさんの教派や団体、教会があるようですがどうなっているのですか。

 大まかにカトリック、プロテスタント、オーソドックス(東方正教会)等がありますが、それぞれ、たくさんの宗派、教派に分かれています。
 既成の宗派が長く続くと、残念ながら、政治と癒着することによって過ちを生じたり、また時代にそぐわない教理によって人々のニーズに答えられなくなることなどが歴史的にありました。その度に真理を求める人々が既成宗派を出て新しい教会を作り、新しい教派を形成しました。また、既成の宗派も内部で改革を進めてきました。そのために、現在では多くの宗派、教派が存在します。これは、キリスト教が常に真理を求め続けた結果といっても良いでしょう。現在ではエキュメニカル(超教派一致)運動により、教派を越えて協力しあうようになってきています。

教会はどのようにして選ぶべきでしょうか。

 まず、十字架が掲げられた教会を選ぶべきです。
 教会の礼拝にまず出席してみることです。
 出席してすぐに入会を勧める教会、献金を強要する教会は疑問視した方が賢明です。「異端」と呼ばれる間違った教理を持つ教派も中にはあるので注意が必要です。
 教会によってそれぞれ特徴があり、強調点や伝道方針が大なり小なり異なりますので、自分のニーズに答えてくれそうかどうかも判断基準にしても良いでしょう。

バプテスト教会はどのような教派ですか。

 バプテスト教会の特徴は、聖書第一主義、浸礼重視、信仰者のバプテスマ、会衆政治、各個教会主義です。
 聖書第一主義とは、教祖や法皇のような人間的権威また組織や、聖書以外の固定した教理や教典を持たず、聖書を唯一の聖典とするということです。
 浸礼重視とは、バプテスマ(洗礼)の方法として全身を水に浸す方法を用いるということです。水に沈み、水から上がることによって、罪に死に新しい命に生きることを表現します。
 信仰者のバプテスマとは、信仰を言い表すことのできない幼児へのバプテスマを行わないということです。従って生まれながらのクリスチャンも、クリスチャンの世襲もバプテスト教会にはありません。
 会衆政治とは、牧師を含め、信徒は神の前に全て平等であり、階級(叙階)制度をもたず、全ての信徒が教会運営に平等に参加できるということです。牧師も一職務であって、信徒より上の階級に属するとは認めていません。
 各個教会主義とは、教会同士が上下の支配関係を持たず、それぞれ組織の独立を認め合っているということです。教派を形成しているバプテスト同盟やバプテスト連盟などの団体は、教会の上部団体ではなく、宣教協力のために組織した団体であり、各教会の運営を支配するものではありません。

キリスト教の異端にはどのようなものがありますか。

 主な異端宗派として世界統一神霊協会(統一協会)、エホバの証人(王国会館、ものみの塔)、モルモン教があり、正統なキリスト教会はこれらをキリスト教とは認めていません。
 統一協会は最も危険な宗派であると思います。霊感商法による詐偽的資金集め、集団研修によるマインドコントロールなどが指摘され、社会的に問題となったことがあります。韓国での集団結婚なども有名です。
 エホバの証人は「ものみの塔」という小冊子を持って家庭訪問による勧誘を行っているので良く知られています。教会を「王国会館」と称しています。キリストの神性や三位一体を否定した教理、極端な終末思想を持っています。信徒は家庭訪問伝道を行うことによって救われるとされています。輸血の拒否でも知られています。
 モルモン教は、聖書以外にモルモン経という教典をもち、菜食主義で知られています。体育での剣道の拒否、輸血の拒否でも知られています。
 異端にはおよそ次のような特徴があります。
  ・キリストを救い主と認めない。あるいはキリストの神性を否定する。
  ・教祖が救い主に匹敵する権威を主張する。
  ・神様との直接の関係よりも、教団(組織)に帰依することが求められる。
  ・教団の運営や意志決定が秘密で行われ、一般信徒にわからない。
  ・極端な集金活動や献金を強要する。
  ・人の弱みや不安につけ込んで入信や献金を迫ったり、「地獄に堕ちる」などと
   言って脅す。
  ・「先祖の祟りがある」といって不安にさせる。
  ・聖書の部分的な事柄を極端に強調する(輸血拒否など)。
  ・出家や集団生活等を行ったり、一般の書物を読むことを禁止したりして、
   世間の情報から切り放す。

キリスト教で言われる救いとはどういうことですか。

 人間は生まれながらに罪の性質をもっています。自分の中にある罪の性質に縛られているので様々な悪や不幸、苦しみが生じ、神から遠く離れた存在になってしまっています。この罪の束縛から解放されて神に愛されて自由に生きる存在へと変えられることを救いと言います。

救われるためにはどうすれば良いですか。

 人間は生まれながら罪の性質をもっていますから、修行や自分の努力で完全に罪を消すことはできませんし、善を重ね徳を積むことによって罪が帳消しにされることもありません。しかし、罪があるままで、救われることはありません。
 そこで、神様がこの世に送られた独り子であるイエス・キリストが十字架にかかって罪ある人間の身代わりとなられ、罪を帳消しにされました。これを十字架の贖(あがな)いといいます。
 人間の側からできなかった罪の解決を神が人間を一方的に愛してくださって十字架の贖いによって実現してくださいました。
 自分が罪人であることを認識し、悔い改めて、この福音を信じることによって、罪が赦され救われます。

犯罪者でも救われるのですか。

 たとえ犯罪者であっても、自分が罪人であることを悔い改めて福音を信じるなら、救われます。これには例外がありません。
 一方、善人と呼ばれる人であっても、自分の中に罪の性質があることを認めず悔い改めないなら、救われることはありません。
 救いの不要な人は一人もありません。

救われるために善を行わなくても本当に良いのですか。

 善を行うことが救いの条件になることはありません。救われた結果、その神の愛と恵みに応えるために、善を行うようになるのです。

救われるとどうなりますか。

 神様との密接な関係ができます。神様が常に自分を愛して下さっていること、常に導いて下さることの確信が与えられ、どのような苦境にあっても、神様に頼ることができ、不安が解消されます。
 聖書では、救われると神の子とされる、神の国の国民となる、永遠の命が与えられる、聖霊に導かれた人生を歩むことができると表現されています。

クリスチャンが罪を犯すとどうなりますか。

 救われても生身の人間ですから、罪を犯すことがあります。神様を信じていると自分の罪が明らかにされるので余計に苦しむことがあるかもしれません。しかし、悔い改めて神様に立ち返るなら何度でも赦して下さいます。
 自分ではどうしようもない罪を赦すのが十字架の救いであり、一方的な神の愛です。その愛に守られていることに感謝をしながら生きることができます。
 また、自分がどうしようもない罪を犯してしまう者であることを知ることによって、他の人を赦す必要があることを知ります。
 クリスチャンになって、自分だけが清められて正しい人間になると思いこんだり、他の人を罪びととして裁いたりすることは大きな誤りです。

神様とはどのようなお方ですか。

 神様は、世界の万物を創造された方であり、支配しておられる唯一の方です。神様は霊であって見ることのできない方です。人間も神様によって創造されました。父なる神と呼ばれています。

三位一体の神とは何ですか。

 父なる神と御子イエス・キリストと聖霊の神がそれぞれ別々の役目働きを担っているため三人の神がいるように見えるが、神の三面性を表しており、一人の神様であるということです。

イエス・キリストとはどのようなお方ですか。

 約2000年前にユダヤに生まれ、神の国と福音を宣教されました。しかし、当時の宗教指導者の反発を受け、権力者によって十字架にかけられ死刑にされました。そして3日目に復活し、弟子に現れた後、天に帰られました。
 イエス・キリストは神の御子であり、人間の救い主です。

聖霊とは何ですか。

 聖霊は神の霊、キリストの霊であり、人間に直接働きかける神です。聖書にはキリストが天に帰られる代わりに信じる者に聖霊を送ると書かれています。聖霊は聖書を読むことを通して、祈ることを通して、また様々な出来事を通して人間に神の真理を伝えてくださいます。また信じる者と共にいてくださり導いてくださいます。聖書にはキリストを信じる者の心には聖霊が住んで下さると書かれています。

神様が人間を作られた目的は何ですか。

 神様は人間を神様に向かい合って生きるもの、神の愛の中で生きるものとして作られました。

キリスト教の目的は何ですか。

 全ての人がキリストを信じ、神の国すなわち神の愛の中で全ての人が愛し合って生きる世界を実現することです。

神の国とは何ですか。天国とは違うのですか。

 神の国(天国)は、神様の完全な支配の中で、全ての人が愛し合って生きる、やがて訪れる世界のことです。一般的に天国とは死んだ人が行く世界と考えられているかもしれません。しかし、聖書では神の国が完成するときには、死んだ者も生きている者も共にその世界に住むと書かれています。
 また、神の国はどこそこにあるというものではなく、あなたがたのうちに(あるいは、あなたがたの間に)あるのだとも書かれています。神の国は私たちの心の中にまた、人間関係の中にすでに始まり、成長しています。
 神様はすべての人が神の国に入れられ神の家族となるように招き続けておられます。

地獄はあるのですか。

 死んだ人が最後の審判を待つ所、もしくは、人間がその罪の結果堕ちる場所として聖書に描かれています。罪を悔い改めてキリストの福音を信じるなら恐れることはありません。

キリストの福音を信じないで死んだ人はどうなるのですか。

 聖書には、キリストが十字架にかかって死なれ、よみに下った際、死人に宣教をされたと書かれています。キリストの福音を知らずに死んだ人にはチャンスがあるかも知れません。しかし、罪を悔い改めなかった人については、永遠の滅びがあると聖書に書かれています。

前世や来世はあるのですか。

 キリスト教では輪廻はないと考えています。従って、前世もなければ来世もありません。善を行えば良い境遇に生まれ変わり、悪を行えば悪い境遇に生まれ変わるというような考え方もありません。人の一生は一回限りです。そのかけがえのない一生をどう生きるかが問われています。

キリスト教ではどうして先祖を祀(まつ)らないのですか。

 キリスト教では唯一の神を信じていますから、神以外の者を神と同等にあるいは神に代わる者として祀ったり拝んだりすることはありません。しかし、聖書には父と母を敬えと教えられています。自分を生み育ててくれた親や先祖を敬い大切にするのはとても良いことです。

キリスト教には法事や墓参りはないのですか。

 日本の仏教で行われる法事は、迷ったまま死んだかもしれない先祖が完全に成仏するために子孫が行う供養の儀式です。約50年の法事の後、完全に成仏すると考えられています。このように個人の迷い(罪)が子孫の供養によって除去され救われるという考えや、子孫に供養の義務があるという考えはキリスト教にはありません。ともあれ、先祖がどんな人であれ罪あるまま救われないで死んだということを前提として考えることは故人に大変失礼と考えますがいかがでしょうか。
 そこで、キリスト教では、故人記念式を行い、故人の生前を偲び、故人が残してくれた思い出や心の財産を感謝します。
 また、墓前礼拝を行い、故人や先祖を偲びます。また墓の管理を行います。しかし、死者を礼拝することはありません。
 向島キリスト教会では、千光寺の共同墓苑に加盟し、また、教会の中庭に納骨堂を持っており、信徒(教会員)は利用することができます。

キリスト教では戒名はないのですか。

 もともと仏教では生きて修行をして悟りを開いた人がその印として戒名(法名)を与えられました。ところが現在では亡くなった人にお布施の金額次第で位の高い戒名がつけられます。
 キリスト教では、亡くなった人に新しく名前をつけることはありません。カトリックでは、洗礼を受けるとクリスチャンネームが与えられるようです。これは昔の名高い信仰者(聖人と呼ばれる)にあやかってつけられているようです。ほとんどのプロテスタント教派ではクリスチャンネームがつけられることはありません。

先祖の霊はあるのですか。

 霊として聖書に書かれているのは聖霊(せいれい)と様々な悪霊(あくれい)の二つです。先祖の霊は語られていません。亡くなった親や祖父母に語りかけたくなる人間の思いは理解できますし、その思いは尊いものかもしれません。しかし、迷った先祖の霊が不幸をもたらす(先祖のたたり)と言われることもあります。このような考え方は、ご先祖様に、はなはだ失礼ではないでしょうか。先祖の霊を持ち出して信仰を促す宗教は、たたりを恐れる人間の思いを利用して人を惑わす悪霊の仕業ではないかと思います。

キリスト教では他の宗教の神々をどうみていますか。

 聖書には、他に神は存在しない、あるとすれば悪霊があるだけだと書かれています。人の理想を反映した立派な宗教もあると思います。しかし、人の不安につけこんだまさに悪霊の仕業としか思えないような宗教もあります。多くの宗教は未知の事柄に対する不安や畏敬の念から生まれました。そこから良い習慣が生まれた場合もありますし、悪い習俗や迷信が生まれた場合もあると思います。いずれにせよ、キリスト教では、それらは、罪人である人間によって作られたものであり、それらを神と同等あるいは神に代わるものとして礼拝することは罪であると考えます。神でない者を拝むことをキリスト教では偶像礼拝と呼び、良くないことと考えます。

うらないや霊界通信(霊媒、チャネリング)をどうみていますか。

 聖書はうらないや霊界通信を固く禁じています。霊の世界のことは神が必要に応じて聖霊を通して真理を伝えられます。うらないは神を無視して将来のことを知ろうとすることであり、霊界通信は神を無視して霊界や霊とコンタクトをとろうとすることです。このようなことをするときに、悪霊が誤った情報を故意に伝え人を惑わすのだと指摘する人もいます。悪霊は1つの重要な誤りを信じさせるために9つの本当の情報を与えるとも言われています。いずれにしても、うらないや霊界通信は、神への背信行為であり、罪であると考えます。

キリスト教国でも宗教戦争があるのはなぜですか。

 戦争というものは、必ず、政治や経済的なことが原因となって起こります。その時に、宗教や民族意識が政治によって利用されるのです。権力者が国民の心を統一させる場合に、宗教をもちいてマインドコントロールしようともくろむのです。かつての日本の権力者も天皇を現人神(あらひとがみ)とすることによって国民を支配し、その結果、悲惨な戦争へと突き進んでいきました。
 ですから、政治と宗教は厳格に分離されていなければなりません。そういう意味ではキリスト教国と呼ばれること事態間違っています。神が直接支配される神の国以外にキリスト教国は存在しません。
 キリスト教では、「あなたの敵を愛しなさい」と教えられています。これが完全に実践されるのは、神の国においてのみです。


神が存在するのに戦争や環境汚染などの悪が耐えないのはなぜですか。神にやめさせる力はないのですか。

 すべての悪は人間の罪の結果です。神の仕業ではありません。神は人間を自由意志を持つ者として作られ、ロボットや操り人形としては作られませんでした。神は人間が自らの罪に気づいて悔い改め、神に立ち返るのを待ち続けておられます。

どうして生まれたまま不幸を背負った人があるのですか。

 聖書は、ある人が生まれつき盲人になったわけを、先祖が罪を犯したからではなく、本人の罪の結果でもなく、神のみわざが現れるためであると書いています。全ての人は神の愛のご計画に基づいて神の目的のために作られています。たとえ人が不幸と感じる境遇の中にあっても神は共にいて下さいます。神のご計画に信頼して生きましょう。
 そのような人がいるときに、親の生活が悪いからとか、先祖のたたりであるから供養が必要だなどという宗教がありますが大きな誤りです。不安を募らせてお布施をとる悪徳宗教です。
 聖書は、喜ぶ者とともに喜び、悲しむ者とともに悲しめと語っています。どんな境遇にある方とも、神のもとに共に生きる者として、歩むことが求められています。

キリスト教は、私個人や世界を本当に救ってくれますか。

 イエス・キリストは、世の罪を取り除く神の子羊であり、救い主です。イエス・キリストを信じ受け入れるなら、救われます。
 どうぞ、安心して、イエス様に信頼して下さい。


さいごに

 キリスト教に対する素朴な疑問や不安に、できるだけわかりやすく答えたつもりですが、舌足らずの所や個人的な見解も少なからず含まれていることをお許し下さい。そういう意味で私(綿谷)自身の信仰告白にようなものになってしまったかもしれません。ここにあげました他に素朴な疑問などがありましたら、ご連絡いただければ幸いです。
 また、イエス様の教えについてもっとお知りになりたい方は、ぜひ、聖書をお読み下さい。そして、礼拝にぜひご参加下さい。また、祈祷会や教会学校ではご一緒に聖書の学びをもっておりますので、ぜひ続けてご参加ください。

                           文責:綿谷 剛